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(Updated: Feb.12,2010)

それでも地球はまわっている


東京女子医科大学 八千代医療センター 神経内科
大橋 高志

 私が留学したボストンの研究所は、その頃、TGFβという免疫を調整する物質の研究で世界を大きくリードしていました。TGFβを産生するリンパ球である“Tヘルパー3細胞”でMSを治療できると信じられていました。そして、私に与えられた課題は、MS患者さんの血液からTヘルパー3細胞を取り出すことでした。しかし、いくら頑張ってもTヘルパー3細胞が見つかりません。それどころか、TGFβをうまく測ることすらできません。何かがおかしい。何が間違っているのだろう。私は思い悩みました。
 そんなある日、私は大変なことに気がつきました。10年以上に渡って研究所の中心となっていた実験系に大きな欠陥があったのです。皆がTGFβだと思って測定していたものは、実は全く別の物質でした。今までのTGFβに関する研究結果は間違いだったのです。これで全ての謎が解けました。空を覆っていた黒い雲が一瞬にして消え、視界が広がったような感覚でした。
 それから私がおこなった実験はことごとく私の仮説を裏付けました。長年積み上げてきた研究成果は、あっという間に崩れ落ちたのです。皮肉にも、私の閃きは、自らの乗った船を転覆させ、免疫学の教科書を塗り替えてしまうほどの発見になりました。世界トップクラスの研究所でもこんな信じられないミスが起こり、世界中が騙されてしまうことがあるのです。そのことを自分自身で証明できたことは、私にとって貴重な経験になりました。
 
 地球が太陽の周りを回っていることは、今では誰でも知っています。しかし、ガリレオの時代に、『自分たちは球状の物体の上に乗っていて、しかもその物体がグルグル回転している』などと、いったい誰が想像できたでしょうか。私たちが当たり前だと思っていることは、実は単なる思いこみなのかも知れません。常識だと信じているものは、真実ではないのかも知れません。人の眼には、自分が見ようと意識しているもの以外は見えません。人の脳は簡単に騙されてしまうのです。
 
 MSの患者さんの中に、ステロイドで再発が抑えられる人がいることは誰もが感じていました。インターフェロンβが効かない人がいることにも気づいていました。それでも、私たちは「ステロイドにはMSの再発予防効果はない」、「MSにはインターフェロンが有効である」という考えに囚われ続けました。この考え自体は間違いではありません。しかし、その患者さん達の多くが、実はMSではなく視神経脊髄炎 (NMO) という別の病気だったとは考えてもみませんでした。真実を映す水晶が曇っていたことに気づくチャンスは何度もあったはずなのに。
 
 私たち医師に求められるものは、医療にかける熱意と、真実を見抜く確かな眼、そして弛まぬ探求心です。常に自問自答し、疑問点を解決して前に進む努力を怠ってはなりません。この姿勢こそが医療をここまで発展させてきたのですから。
 

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Created: Aug.22,2009